menu

にいや...........ありあ............ありあね...........にいやのおはなし.................ききたいの........................。
にいや..................おはなし...........して................。


News
NHK版セサミストリート、04月03日で終了

 19世紀中盤、移民でごった返すアメリカ。街には「I」の単語の意味すら知らないヒトが溢れ、治安は悪化、そして高まる白人至上主義の気運。露骨な迫害の季節は過ぎたものの、家庭の所得が低く満足な教育など受けられないコドモたちが後を絶たなかった20世紀初頭。そこへ「人種など関係ない、そもそも個人は皆異なるものだ」と主張し、迫害と貧困の只中にあったヒスパニック系を対象とした語学番組がある。それが「セサミストリート」だ。
 番組中にはスペイン語がちょくちょく登場し、キャラクターの肌の色は多種多様。ジョークと歌に溢れたコドモ向け英語番組「セサミストリート」は、壮大な理念を掲げた番組であったのだ。

 セサミストリートは世界各国で放映されている。もちろん日本でも放映されており、日本語で喋るクッキー・モンスターを拝むためにはNHK教育にチャンネルを合わせれば良い。
 しかし、日本語版のセサミストリートは間もなく姿を消してしまう。どういう事情かはわからないが、04月第一週の放送を最後にNHKが番組を打ち切ってしまうためだ。NHKのサイトにあるセサミストリートの公式サイトも、04月10日で公開を打ち切るらしい。

 それでは、日本でエルモを見ることは永遠に叶わないのか、という疑問を抱いたヒトは安心すると良い。秋からはテレビ東京がセサミストリートを放映する予定なのだそうだ。アニメ等幼児向けの枠での放送を検討しているというから、平日午前や夕方、あるいは日曜午前の放送になるのかもしれない(少なくとも深夜ではない筈だ)。
 半年程度のブランクが空き、ローカライズを行う制作サイドが一新して、セサミストリートは再び姿を現わすだろう。98年の二ヶ国語放送開始が元で廃刊になってしまったテキストの復活など、これで淡い期待の数々は消えてしまう。しかし、きっと新しいセサミストリートは、そんな些細なことを笑い飛ばせるくらいに楽しい時間を与えてくれるにちがいない。オトナの都合で楽しみを邪魔されたコドモは、それよりももっと楽しいことを考え付くからだ。そして、日本でもセサミストリートは間違いなく「コドモの楽しみ」である。


にいや..................ありあ................のどがかわいたの......................。
ありあ..............おのみものがほしいの.............。
ありあ...................あたたかくて......................どろどろしてて.................いろがとってもあざやかで.........................
...........にいやからいっぱいほとばしる..........おみずを..............のみたいの.............。

にいや............いっぱい..........ちょうだい...........。

(人影にゆっくりと抱き付いた少女の口に、鋭い牙を見た気がした)
(そして、人影の首筋辺りで、ふたつはひとつになる)

(絶叫)


にいや.......................おひさまの..........ひかりが.....とっても....................つめたいの.......。
にいや..........ありあの.........................ありあのおそばで...........................
おはなし.........して................。


News
ディズニー、「ナルニア」実写映画化へ

 タンスを抜ければ夢の国、食べる毎に美味しさを増すプリン・・・コドモの夢をそのまま描いた様なファンタジー小説「ナルニア国ものがたり」がディズニーの手で映画化される。
 1巻で1話、コドモでも楽に読める平易な文章など、「ロード・オブ・ザ・リング」の原作「指輪物語」よりも「ハリー・ポッター」シリーズに近いといえる「ナルニア国ものがたり」。かつてイギリスBBCが4作のみドラマ化したことがあるが、映画として公開されるのは初めてである。

 さて、人気のコミックがアニメやゲームになる様に、ディズニーの映画作品はディズニーランドでのアトラクション化がお決まりだった。しかし、最近のディズニーアニメにはあまりアトラクション化されたものがない。
 単純に新しいアトラクションを設置しなくなっただけかもしれないが、「アトランティス/失われた帝国」があるにも関わらずわざわざ原作の「海底二万里」をモチーフにしたアトラクション「海底二万マイル」があるなど、不思議な点も多い。「アトランティス」の名前を使用しなかったのは、ディズニーシーではアニメ作品よりもジュブナイル小説の方がイメージに合っているからなのか、2001年オープンの施設で2001年公開の映画を持ってくるのは無理があったのか、ウォルト・ディズニー生誕100周年という触れ込みの割に興行成績が微妙だった所為か、単純に評価が低かった所為か、何かに似すぎた所為か。
 ・・・話を戻そう。「ムーラン」も「シュレック」も未だディズニーランドで姿を現す素振りは無い。スクリーンでの活躍とは打って変わって恥ずかしがりやの彼らの代わりに、「ホーンテッド・マンション」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」など原作の無いアトラクションの実写映画化が盛んに行われている。特に「パイレーツ・オブ・カリビアン」などは2005年に続編が出る程の人気ぶりだ。

 現在のディズニーランドのアトラクションは、アニメよりも実写と親和性が高いのかもしれない。もしも「ナルニア」を本気で、しかも本気でシリーズ全てを映画化しようとしているのならば、アトラクション化は大きなプロモーションになるだろう。
 それは、一体どの様なアトラクションだろうか。ライオン型ライドに乗って魔女の手下を剣型光線中で打ち落とすものだと面白そうだが、ゲーム性に富み個人がドラマを構築できる様なアトラクションがディズニーランドに登場する筈はないので、次々とおいしそうなプリンが迫り来る3Dアトラクション「ジェイディスの誘惑」を期待しよう。アトラクションを通過したゲストは、白い魔女の誘惑に負けたエドマンドの様にプリンに過敏に反応する様になり、そしてディズニーシー内のレストランで次々とプリンを注文するに違いない。ゲストは大量のプリンに満足し、各レストランは顧客が増えて儲かり、そこからペイされるお金でディズニーも潤う。「ナルニアを金儲けに使うなんて」と激昂するヒトがいるかもしれないが、恐れることは無いだろう。最近のディズニー作品には何かしら「敵」が多いが、その「敵」が頑張っている様子は誰にも取り上げられないからだ。

 「夢と希望」の化身が生み出すアスランが、説教臭くてうるさい「だけ」の耄碌したライオンになっていないことを、そして、映画版ナルニアの設定を都合良く歪めて実装し、敵をいたずらに増やす作品にならないことを祈るばかりだ。


にいや..............................ありあね.............からだがつめたいの.....................。
ありあ...................さむくてさむくて....................................こごえて...........こおっちゃいそうなの....................。

にいや....................ありあ.......................にいやにね..........................
ぎゅっ..................................て.....................して..........................ほしいの.......................。

(人影の腰の辺りに手を回した少女は、ぐっと腕を引き寄せた)
(瞬間、部屋には何かが砕ける様な異音が響き、人影の背中と脚は有り得ない鋭角を作り出した)

(絶叫)

にいや..........ありあ.....................................おむねがくるしいの........
にいや..........ありあのおそばで...........................
おはなし.........して................。


にいや..........ありあ.....................................おむねがくるしいの........
にいや..........ありあのおそばで...........................
おはなし.........して................。


News
ゲームブック、復刊の兆し

 「あなたはXXを持っているだろうか。もしも持っていないなら、恐怖の13へ進むことになる」・・・どこの選択肢で間違えたのかわからず、幾つもの復帰点(数々のページに挟んだ指)に片端から立ち返り、どれも有効な選択肢を過ぎていることに気が付いて最初からやり直す。ゲームの開始はキャラクターシートのコピー(あるいは見立てで作成)から。
 経験のあるヒトには驚く程効果的な話題共有ツールだが、経験の無いヒトにはまるで通じない、とてもカルトな文化。それが「ゲームブック」だ。これは、段落ごとに番号が振ってあり、段落最後の選択肢毎に定められた段落番号へ飛びながら話を読み進めるものだ。選択肢のある小説、一人遊びのできるTRPG、RPGのアナログ版・・・既存のものを使って例えることは可能だが、どう説明してもファーストコンタクト時の驚きを軽減する助けにはならないだろう。

 ゲームブックについて知るには、やはり実物に触れるのが一番だ。しかし、長いことゲームブックの新作は発刊されていない。もちろん旧作は絶版のまま。一時期は海外のものをはじめ・・・というゲームブックの隆盛と衰退に関してはリンク先に詳しく書いてあるが、ともかく一時期は本当に多数のゲームブックが出版されていた。とはいえ、その多数のゲームブックの内の殆どは双葉社が出していたのだが。
 難易度の高さと硬派さ、そしてダイスの目などの不確定要素を必ず取り入れることで共通していた東京創元社のゲームブックと違い、双葉社のゲームブックは大きな共通項など存在しなかった。選択肢通過時に「キャラクターシートのAにチェックを入れる」と言った様にプレイヤーにフラグ表を操作させるものが多かったが、それも決して全てではなかったし、フラグも「付いてさえいればOK」なものが多かった為に不正があまりにも簡単だった。
 システム面を置いて考えても、双葉社のゲームブックの殆どがファミコンのゲームを原作としたもので、その上双葉社オリジナルストーリーのゲームブックの多くがあまり魅力的ではなかった為、「ゲームブック=ファミコンの派生」と認知されてしまう。それがゲームブックの衰退に一役買ってしまったであろうことは、あまり想像に難くない。攻略本と同様ラインナップの豊富さが一番の売りであった双葉社のゲームブックにも、「ファイナルファンタジー」や「ザナドゥ」などの様に名作はある。・・・しかし、それらは殆ど元と違う話になっているのだが。
 ゲームブックに喰いついた会社は双葉社だけではない。学研も付録の穴空き紙で暗号を解読させるフィーチャーを必ず仕込んだゲームブックを出していたし、徳間書店も「ファミマガゲームブック」としてファミコン原作のゲームブックを数点出していた。しかし、前者は穴空き紙をなくした途端にクリア不可能となり、そして後者はどの作品もあまりに密度が薄かったりと、手放しで絶賛できるものではなかった。他にも様々な出版社がゲームブックに手を出し、そして期待した程のリターンが無いままゲームブックを手放していった。

 そうして忘れ去られたゲームブックも、創土社の手によって戻ってくる。これはとても喜ばしいことだ。しかし、有象無象の中に埋もれてしまったゲームブックの名作の数点は、復刊ドットコムのゲームブック特集には出ても来ない上に、十中八九戻って来ないだろう。
 ゲームブックとは、何百にも分割された段落の集合だ。それぞれは段落番号へのリンクによって結ばれている。つまり、ゲームブックはHTMLで表現することが可能なのである。本棚に眠っている、復活の見込みが無いゲームブックをHTMLで電子化してみてはどうだろう。著作権の問題があるので公開はできないが、その作業はあなたにある程度のスキルと、そして何かのインスピレーションを与えてくれるにちがいない。そのインスピレーションが、13へのリンクを示していないことを祈って。


にいや..............ありあ.............とっても.....................くるしいの...................。
むねが................あつくて......................いたくて..........こわれちゃいそう.......................なの......。

にいや...............................ありあ...............ごほごほしちゃうの...............................
ありあ..............とっても........................くるしいの............................。

(人影が傍で見守る中、少女は激しく咳き込んだ)
(途端、人影が床に転がる。胸をかきむしりながら視線を宙に彷徨わせ、意味のないコトバを発して続けている)
(やがて自分の肩を抱き、振り絞る様に)

(絶叫)

ArIA/TiMeLiNe or "BEAST of BLOOD"

[ topprofilelogbbs † link ]