「そもそも」
あの人の声がする。
制服に包まれたカラダからは、明らかに蔑みの声。
「あなたはどうしてここにいるの?」
僕は答えを出すことができない。
そもそも、僕の口はゴムを噛まされ、意味の通る言葉を発することが できない。
「どうして私が、わざわざあなたの為に時間を割いているのかしら?」
その声に苛立ちはない。
言葉が全く感情に裏打ちされていないことに、僕は恐怖を覚えた。
「答えなさいよ」
彼女は冷たい瞳で僕を見下し、手で足でぺちぺちといたぶる。
僕は答えようともがくが、口にはめられたゴムのせいで、言葉を発 することができない。
舌も口も動かず、ただあうあうと情けない声を出している。
喋り始めると、いままで感覚だけの存在だった拘束具を、途端に意識するようになった。
口の端から唾液が溢れる。恥ずかしい。恥ずかしい。
「学校から、ずっと尾けていたのね」
何も言えないでいる僕に、静かな平手が飛んだ。
言葉で答えられないので、何度も何度も頷く。
それを見た彼女は、やはり無表情のまま続けた。
「私のことを、ずっといやらしい目付きで追いかけてきたのね」
ぶんぶんぶん。
今度は何度も首を振る。
唾液も涙も、その勢いで不快な軌跡を描く。
「ふうん、じゃあどうしてあなたは私の家の前にいたの?」
彼女は、少しだけ微笑みを浮かべて。
「どうして私が家の前で振り返った時、あなたは驚いてどこかへ走って行こうとしたのかしら」
違う、違います!
それは・・・僕は確かに、学校から後を尾けていました。
でも、それはいやらしさなんかじゃなく・・・その・・・ただ、見ていたかったんです。
うまく言えないけど、ただそれだけなんです。
決して、いやらしさとか、そんなおかしな感情があったわけじゃ・・・。
そんな複雑な、たとえ要約すれば「悪気はなかった」だけで終わりそうな、でも言葉をできるだけ重ねなければ満足できない類の感情が、 今の僕に伝えられるはずもない。
「言葉で答えなさい」
羞恥でゴムの味も感じられなくなった僕は、やはりあうあうと情けない声をあげるのみだった。
涙が止まらない。
ふと、彼女が動いた。
僕の首の後ろにそのすらっとした腕を伸ばすと、程なくして僕の口の戒めは解けた。急に流れ込む大量の空気に、思わず顔をしかめる。
彼女は顔に顔を近づけたまま、ゆっくりと微笑んで僕に言った。甘い吐息が僕を包む。
「どうして、あなたは、私を尾けていたの?」
突然与えられた自由。
眼前の彼女。
向けられた微笑み。
わからない。
なにを言えば良いのか、まるで組み立てられない。
「僕は・・・僕は・・・」
小声で、ただそう繰り返すと。
彼女の顔は、豹変した。
蜜の在処を突き止めた喋のように。
必死で隠していた秘密を暴いた少女のように。
美しさがゆがみ、絶対的優位を確信した時の顔。
「僕、ですって?」
もう、だめだ。
僕は、粉々に壊されてしまうに違いない。
「あなた、こんなカラダをしておいて、自分のことを「僕」なんて言ってるの?」
僕から離れた彼女は、思い切り僕の頬を叩く。
ぱしん。
徐々に熱と痛みが頬に集中するのを感じながら、僕の体は彼女に押し倒されていた。
乱暴に衣服が剥ぎ取られていく。
抵抗をしながら、思った。
壊れてしまった僕を、彼女は抱き締めてくれるだろうか。
もしも、壊れてしまった僕に、嘘でも笑いかけてくれるなら。
僕の上半身は、完全に露出した。
そこに隆起するものからも、それをじっと見つめる瞳からも、目を逸す。
それでも、視線は痛いくらいに感じてしまう。
「どうして?」
その質問が幾つめかも覚えていないけど。
これから幾つ質問が続こうと、僕には答えられない自信があった。
「どうしてあなたはこんなに可愛いカラダをしているのに、自分のことを「僕」なんて呼ぶの?」
答えられないと思ったのに。
「自分の体が嫌いだから」
その声は驚くほど冷静で。
まるで自分の中の別人が用意した答えを、やはり自分の中の他人が発声しているようだった。
胸に、手が伸びる。
それを僕は確かに感じているはずなのに、とても他人事のように感じていた。
「キライ?」
そう言いながら、手の中の体を弄ぶ。
他人事みたいな意識はそのままに、僕の思考はぐにゃぐにゃに融けていく。
僕はただ空の手を強く握って、必死で目を逸していた。
手の動きは指先の動きに変わって、僕はなぜだか涙が止まらなかった。
「涙を流して嬉しがっているのに」
肩のあたりに、何かが吸い付くのを感じた。
何をされているのかは想像できたが、だからこそ僕は目を逸したままだった。
「イヤ?」
微笑みを浮かべていたはずのその顔は、探るような真顔に変わっていた。
手も唇も動きを止め、僕のコトバを待っている。
「ねえ、イヤなの?」
目を逸らして沈黙を守ったままの僕は、もう一度質問を受けた。
僕は、なんと答えてよいのかわからなかった。いや、ちがう。僕は僕自身がどう答えたいのか、まったくわからなかった。
結果、僕は蚊の鳴くような声で呟いた。
「いや・・・いや・・・」
本当に嫌だったのかどうか、自分でもわからない。
しかし、拒絶のコトバを繰り返していないと、僕のなかで爆発しそうにふくれあがっている感情を、残らず解放してしまいそうだった。
胸が熱い。
吸われた肩口が熱い。
甘美な熱に囲まれた僕の意識は冷静なつもりだったが、その実どろどろに溶けてしまっていたに違いない。
何度目かわからない、うわごとのような拒絶のコトバを受けて、僕に声は降り懸かった。
「変態」
そのコトバはあまりにも予想外で、だから必死で目を逸らしていたはずのその顔を、僕は凝視してしまった。
僕の視線をしっかりと受け止めて、微笑みと同時に繰り返す。
「変態よ、あなた」
そう言いながら、僕の胸を強くつねりあげる。
「ふ・・・っ!」
「学校から家まで、私のことをずっと尾け回して」
声をあげる僕を、容赦なく痛めつける。
「オンナノコなのに自分のことを「僕」なんて呼んで」
その痛みは、僕の涙を引きずり出す。とめどなく。
「挙げ句の果てに、「嫌」なんて言いながらこんなに・・・!」
半ば叫びながら、彼女は必死に閉じる僕をこじ開け、そして僕を乱暴にかき乱した。
狭い部屋で水溜まりがいくつも弾けたような音が、僕の耳に遠く響く。
嗚咽では足りない。
僕は泣き叫んだ。
そして、手足をばたつかせ、視覚を、聴覚を、触覚を、僕を犯すすべての感覚を、力任せに遮った。
だけど。
それは、彼女のほんの一言で片が付いてしまうほど、あまりにもはかない抵抗だった。
微笑みを崩さない彼女は、暴れる僕の耳元で優しく囁いた。
「変態。」
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!
絶叫とともに僕の意識は途切れ、そこから先は、ただ、闇だった。
*****
気が付いた。
微睡みの奥から、僕を蔑む声が蘇ってくる。すん、と鼻を鳴らして僕は泣きじゃくった。
泣いたところでどうにもならないのに、そんなことはわかっているのに、涙は一向に止まる気配を見せなかった。
不意に、僕の頭が抱き寄せられた。
柔らかな肌のふくらみと、さっぱりと甘い香りが僕の顔を包み込む。
「今の私とさっきまでの私、どっちが好き?」
僕は迷わず答えた。
「両方です」
唇が半月のカタチに伸びる。
「いっぱいいぢめるよ?きっと」
僕は、その唇を見て答えた。
「いっぱい、いぢめてください」
半月の唇が、僕に近づいてくる。
僕の唇に届く寸前、優しい声に包まれた。
「可愛い子」
そして、僕はコトバだけではなく、はじめて唇と舌で意思を伝えた。
共有する感覚。
もしかしたら幻想かもしれないけれど。
僕が感じる快感と同種のものを、同時に伝えあっている。
それは、この上なく幸せなことだった。
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