「「お気に召しません」+なら+{交換-}も::/できますけど」△\\▽「「ダメ」な↓やつ--○は「"だめ"」」」」」」」:::$#ざんねん ざ    ん          ね         ん。

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■cali≠gari〔東京〕

次回のお申し込みをお待ちしております。

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ヴぁー

一般発売に賭けるというのは、もはや天上から下りてきた蜘蛛の糸に第十五集団くらいでようやく飛びついた癖に極楽へ逃げ延びられる確立くらいにアレなことは確か。
でも!どんなに望みが薄くても飛びつかなくちゃいけない時があるの天使には!(天使じゃなくてもあります)
それでも生き続けて、仮想Zepp Tokyoか仮想SHIBUYA-AXで、Псиたちは再び落ち合うべきなのです。もしも、死ぬことになった者たちは幽霊となってオークションサイトで落ち合いましょう。必ず。
ひとまず、さようなら。
こんないいお天気の日に、先に行きます。行きます。
行くぞ。

"名作をパクるな!"(©サディスティック19)
ごめんなさい。

というわけで、既に参戦予定ではなく参戦確定なヒトはПсиに言うといいです。当日Псиがその場所にいるかどうかは別として、もれなく呪います


ああ、絶望遊戯。
その指止まったら。
誰が鬼で、誰が逃げる?

それを誰が振り分けたんだ?
何様だよ?
俺なのか?


12月の内に「かくれんぼか鬼ごっこよ」のお話しておきたくて仕方がなくて、でも暗いお部屋で膝を抱える作業がピークに達していたので、どうにもならず。
ちゃんとiPhoneにi刺身LITEは入ってますよ?報われない労働ばんざい。タンポポ置き忘れても怒らないコンベアばんざい。

なんでしたっけ。
ああ、そうだ。「かくれんぼか鬼ごっこよ」ですが、その前にПсиの立ち位置を。Псиは筋肉少女帯が大好きで、大槻ソロも好きで、特撮も聴いていて、DEEPERSでNARASAKIも好きで、更にはDVDも関連CDも関連書籍も全部持ってるくらい絶望先生が好きです。絶望放送も毎週聴いていますし、谷怨(公開録音)も行きました

既に2枚リリースされている歌ものアルバムとちがってやりすぎっぷりが半端じゃなく(特に中盤)、というか歌詞も曲も含めて構成がとても大槻的で、かくれんぼとか鬼ごっこを3曲目以降で散らしつつ、11曲目(ラス前)の「おやすみ-END」でかくれんぼが終わってコドモたちが家路に帰るとゆっくり歌う辺り...アルバム通して明確なモチーフがある感じがとても懐かしくて、きゅんきゅんしてしまったのでした。
中盤の「ヒキツリピカソ・ギリギリピエロ」から「人形たち」までの三曲は二次的アルバムとしてはありえないプログレ展開なのが素敵ですし、コトバから完全に再生産を起こした明るく突き抜けている名曲「さよなら!絶望先生」でアルバムを終わらせず、アザナエル的な「おやすみ-END」で終わる辺りが最高です。
絶望先生すきーのПсиとしては「おやすみ-END」(1日が終わって罪は許される、罪の大きさに怯えていても全てはいつか消えるから、今はおやすみな歌)を歌っているのが大槻とまといと霧というのもあるのですが。ともかく、構成も曲調も歌詞も全部大槻節炸裂ですから、絶望先生知らなくてもきっちり楽しめます。

でも、手放しで絶賛できるわけではなくて、既存の「人として軸がぶれている」「空想ルンバ」はどうも絶望少女の声が弱い気がして。いえ、ノーマルを聞き込んだので慣れないだけなのかもしれませんけど、この違和感が6ヶ月経っても解消されないのはさすがに何かあるのだと思います。
最初の掛け合いはともかく、「♪獣たちが潜むこと」「♪輝いていることを」の下りは元曲がとても強い(さすが木村カエレ(小林ユウ))ですが、藤吉さん(松来未裕)のキャラなのか何なのか妙に弱くなってしまった印象です。「人として軸がぶれている」の「♪あのヒトは軸がぶれてない」も、可符香(野中藍)のアクの強さが強烈だったせいか、どうにも普通に聞こえてしまうのが残念。

あと、「空想ルンバらっぷ」いりません。先週の絶望放送のゲストだった杉田智和は「エリア88に女キャラはいらねえんだよ!」という素敵な暴言を吐かれていましたが、Псиが考えるところの空想ルンバには明確かつ関係性を終われる「君」なんて存在する余地は無いと思うのですけどどうですか。
仮に従来のサビをそういう「君」に言っていたとしても、すれ違ったり終わったりしている意味がよく判りません。「愛しき」とか「文化的すぎる交流」とか(原作になぞらえて)言いたいだけじゃないかと思ってしまうのです。

原曲崇拝しすぎ、と言われるかもしれませんけど、原曲を大事にしないカバーに意味なんかあるものですか

というわけで、アレな点は既存曲関連ばかりで、その他は(絶望少女達の混ざり具合も含めて)すばらしいアルバムだったと思います。絶望先生好きすぎない(CD買いすぎてない)ヒトで、重苦しい変拍子とかプログレが来ても驚かないヒトなら楽しめると思います。


そんなわけで、獄・さよなら絶望先生(下)のOPが空想ルンバらっぷだった時は、有り得る展開だと頷きながらもしょんぼりをこじらせて倒れそうになりました。でもいいもん、絵柄の安定しない(駐)さえあれば(えええ)。

♪~人形たち[大槻ケンヂと絶望少女達]

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このページは、Псиが2009年6月 5日 21:43に書いたブログ記事です。

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